高校時代

そんなこんなで希望の高校へ入学をする事ができた!

実際その高校へは自分の意志ではなくただ親に言われるがままに 入ったので、何の目的もなかった。

だただその高校に入った!という安堵感と達成感は味わえたが・・。

入試が終わってからの俺は抜け殻のようになってしまったのだ。。

勉強は一切したくなかった。

だって目的はもう達成したのだから。。

俺が高校時代に走ったのは 「自分探しの旅」だった。

今までずっと「いい子」でしかいられなかった俺はその反動か 一気に好き勝手やる様になっていった・・。

15歳で煙草を始めた

禁止されていた原付の免許も取った

しかし、心はいつも曇っていた

なぜなら「自分というモノが分からなかった」から。

目の前にあるものをどう感じればいいのか?

どう表現すれば良いのか? 全く見失っていた。

どうやって笑ったら良いのか?

どうやって人と話せば良いのか?

何が俺なのか?

言動すら全く分からなかった・・・。

作り笑い 作った言動

不自然な行動

いつも俺はイライラしていた。

どうやって生きて行けばいいの??

今まではいい子でいなければイケなかったので、ある程度の 「生き方」は示されていたが、今は全く何もない。

今思うとそれまでのイメージは 鳥小屋の中で、手枷足枷をされていた鳥が、いきなり 大空に自由に羽ばたいていいよ!と言われたようなものだ。

羽ばたけるわけがない。

餌を自分で得れるわけがない。

そんな毎日を過ごしていたので、もともと勉強はしなかったが 全く意識すらしなくなっていた。 案の定赤点の連続だった・・・。

高校時代の唯一の俺の支えはBOO WYというバンドだった。

氷室京 介率いるロックバンドで、めちゃめちゃカッコいい!

言動も男が見てもカッコいいと思えるもので、瞬く間にのめり込んでいた。

氷室京 介という男の過去のエピソードを読み漁り、その生きざまをマネしようと どんどん氷室京 介になりきろうと思っていた。

でも高校時代の楽しい思い出も少しはあった。

家から学校まで、1キロも離れていなく、めちゃめちゃ通学は楽だったが 家から近い分、いつも遅刻をしていた。

うちの学校は学校からの距離で通学 方法が決まっていた。

確か2キロ以上が自転車オッケイで、10キロ以上がバイク通勤オッケイと。

勿論俺はこれだけ近かったので、自転車すらダメだったけど 学校の近くに市役所の駐輪場があって、そこのこっそりバイクを止めて バイク通学をしていたのだ。

家から2分で学校に着いた!

その証拠に毎日「朝の連続ドラマ」を見てから学校へ行った位だ(笑)

それと高校とじいちゃんの家が近かったから、余裕があった日などは じいちゃんの家に自転車を止めて行っていた。

その噂を聞きつけて、4、5人の同級生も止めてくれと頼まれ いつの間にかじいちゃんの庭は駐輪場と化していた。

じいちゃんあの時はありがとう^^

また、うちの学校は進 学校だったけど、やっぱ煙草をすう連中がいて 昼休みになると煙草をすう場所を探し回ってはそこでたむろして 煙草を吸っていた。

一番良かったのは、学校の近くにラーメン屋があってそこの おばちゃんとなかが良く、そこで昼にラーメンを食っては 煙草を吸って、学校に行く前におばちゃんにその煙草を預けていた。

完全なるアリバイだ^^

これで煙草が見つかる可能性が少なくなった。

快く引き受けてくれたおばちゃん、ありがとう^^

じいちゃんの家にも母親に内緒で何箱か煙草を置いておいたなぁ。。

あと、そのころから歌う事が好きで授業を抜け出してはカラオケに行っていた。

丁度そのころカラオ ケボックスが出来始めた頃で、1時間2000円という 昔価格での時代だったが、よく同級生といったもんだ。

俺のレパートリーは勿論ボーイ!

全てボーイだと言っても過言ではなかったなぁ。。

あっという間に3年間が過ぎてしまい、良く高校を卒業できたと思う。

テストは全て追試で免れた。

とは言っても勉強で点数を取ったのではなく、全て「カ ンニング」だ。

色々なカン ニングしたな。。

紙に書いたのは勿論、上履きの中や暗号化した下敷きを使ったり。

でも本当に意味なかったなぁ。。

学校の勉強なんて。

今私は会社を経営しているけど、高校時代の勉強は一切役にたっていません。

全くもってして意味が無かったです!!

馬鹿か!学校の勉強!! 意味ねーよ!!

この言葉を社長という肩書を持ってはっきり断言するのが結構 夢でもありました!(笑)

前、代ゼ ミか何かのCМで 「学歴なんか関係ない!!って東大に入ってから言ってみたい!」 というフレーズのコマーシャルがあって物凄く共感をした。

確かに自分で学歴の壁を乗り越える前にそんな事を言ったとしても 一切の言い訳にしか聞こえない!!

もう一回言いたいです。

半年で年商2億円までの会社にした俺から言わせて頂きます!!!

学校の勉強は一切無駄!! 良い高校・良い大学行けば幸せになれるなんて 負け犬のたわごとだ!!甘ちゃんにも程がある!!

ボクはボクを信じる。

夢って諦めなければ叶うんです。誰かが、「口に+(プラス)って書いて叶うって読む。だから、ポジティブな言葉をたくさん言えば叶うんだよ」って言ってましたが、プラスって英語だし…

そんな事じゃないんです。信じ続けられる関係なんですよ。

個人の強さでは無理です。人間は個人ではそんなに強くない。

だって、誰かとの関係をなくして人が強くなれるんなら、一人で成長できるんなら、この世にたくさんの人がいる意味がないじゃないですか。

人が人を好きになったり、愛という感情って意味なくなるじゃないですか。

関係が夢を実現するんです。関係が人を成長させるんです。

人は変われるんです。ただし、それを信じ続けてくれる誰かが居てくれればの話しです。

だから、ボクはボクの信じた道を歩みます。ボクの”夢”君に良い思いをさせてやりたいんですよ。

それって、たくさんの人が喜ぶ事だから。

そして、ボクの本懐だから。

少しでも、世の中の魂が安らいでくれたらと思います。

大学時代~中退まで

俺は人生で3度の大学受験を経験している。

しかし、学歴は「二浪高卒」だ。

大学を2度も中退している。

意味の分からない学歴を持っています(笑)

一度目は、ストレートで入った茨城の大学。

どうしょうもないので、どこでも良いので入ったという感じだ。

俺は初めの頃は「やっと抑圧的な親から離れられる!」と また、新しい環境に行けば俺を干渉する人間は誰もいないと 茨城の大学生活を楽しみにしていたが、その期待とは一変。

なにもない・・・・

コンビニまで自転車で20分 レンタルビデオ屋までも自転車で25分 華やかな東京に強い憧れを持っていた俺にとってなかりがっかりだった。

なにより、大学に入ると同時に30人位の「ゼミ」に強制的に 入れさせられて、当時極度の対人恐怖症を持っていた俺にとっては めちゃクチャ苦痛でしかなかった・・・

本当に閉鎖的な環境。

その中でまた俺は孤立していった。。

今も思い出すのが、昼食の時、学食でご飯を食べる事が出来なく 図書館のトイレの前の階段で良く一人で食事をしていた・・。

「俺の大学生活って・・・なに??」

「人が怖いのは一切変わらない・・。」

もう入学して2か月後には学校に行くことが出来なかった。。。

大学生の登校拒否である。

ストレスも限界で、人生で一番煙草を吸っていた時期だろう。

1日4箱位吸ってしまっていた・・・。

俺は昔からお酒が飲めなかったので、もしお酒が飲めていたら それに完全に逃げていただろう。。

そしてもっとボロボロになっていただろう。。

不幸中の幸いだった。。

俺の心は「東京」しか見てなかった。

東京に行けば環境が開放的になる!

親に頼み込んで来年もう一度受験をさせてもらおうと思った。

しかし、そこで思わぬ友人が出来た。

カズといって、群馬出身のもとヤンキーだ。

そいつも一匹狼で、集団のゼミが全く合わず、閉鎖的な その大学に嫌気を指していた。 そいつとはウマがあったなぁ。。

カズがある日車を購入した。

毎日のように色々出かけた。。

生活費を切り詰めて、19そこそこなのにスナックに通った。

キャバクラなんてない。スナックだ。

そこで、目いっぱい恰好を付けた。

そこのホステスとも付き合った。。

夜中中町を徘徊していた。

大学生のヤンキーだった(笑)

ちょっとだけ友人という大切さやありがたさを ヤツは分らせてくれた。

でも俺は大学を辞めた。

どうしても東京に行きたかった。。

俺を見つけたかった・・・。

失敗から学ぶ

今日の宝物は、「失敗から学ぶ」ですね。

人は成功からは学ばない、なぜならば「上手くいった、ああ良かった」と事なかれで終わっていくから。

人は失敗したときに、本当に学び、そこから気付きを得るんだと。

確かに!間違いない!

今日は準備が整ってなかったんです。マイクの電波が切れ切れで…

しかし、参加者の方々には情熱とユーモアと愛情いっぱいの姿勢で、最初は気になったけど、途中からは引き込まれたから全然気にならなかったと。

本気じゃなかったんですよ、ボクが。
恩師から教えて頂いた「本気」。
大切な人に二度と嫌な思いはさせないという覚悟。

恩師の事ですから、どんな状態からでもやってくれるんです。そして、どんな状態からでも最高のモノを届けてくれる。

これに全く疑いはありません。

だから、今日も参加者の方々は最高に喜んで帰って下さいました。

ボクの姿勢の問題なんです。今日はボク自身が大失敗だった。

今日、本気になれなくて何があるんだと。

そう思った。

大きな気付きだった。宝物だった。

恩師の姿勢に、原点を見出し、思い出す。

何事も真剣に新鮮に。

今から、新鮮に挑戦していきます。

松本市にてセミナー。

今日は14時からと19時からで長野県松本 市にてセミナーをやらせて頂きました。

合計で40名ほどでしょうか、長野県の各地からご参加頂きました。

夜は岡山から来て下さってましたね。

明日は、佐久 市にて夜セミナーをやらせて頂きます。

今のボクのテーマは原点回帰です。
ひとつひとつを新鮮に、始めて取り組んだあの時の気持ちに戻って。

ひとつひとつを真剣に。

ひとつひとつにパワーを持って。

かつて惚れ込み、信頼した人たち

誰かと一緒に仕事をして、
うまくいかなかったってことは過去にいくつもある。
しかたがない。
プライドをもって仕事をするなら、
なあなあで仲良くやっていくことが第一義ではない。
利害が合わないっていうのは、
まださばさば割り切れるものだろうけれど、
価値観の違いとなればもっと心の深いところにかかわる問題だから難しい。
いや、価値観が合わないということよりも、
合いすぎてかえってぶつかるってことだってあるかもしれない。

お互いの決断で一緒に仕事をしたのだから、
恋愛と同じで、
どちらかが一方的に悪いということもない。

僕はというと、一緒に仕事をして、
たとえ僕の期待どおりの結果にならなかったにしても、
裏切られたとか、
がっかりしたとは思わない。
腹は立つけれども、
それは自分に対して腹が立つだけのことで。
だって、その人に惚れ込んだのは僕だし、
信頼したのも僕だし、
任せたのも僕だから。
相手からしてみれば、
勝手に惚れられて信頼されて、
それで裏切られただのがっかりしただの言われたら、
そりゃあ理不尽な話だろう。

でも、どんな喧嘩別れをした人でも、
やはりその人の人間に最初に惚れ込んだ気持ちは汚したくない。
かけがえのないひとりの人間としてのその人を信じた尊い思いも、
間違いだったなんて思いたくない。
疑うことなんか、誰にだってできる。
信じることにこそ、価値があるのだ。
 
取り巻く人たちは移り変わっても、
人に惚れ、信じる気持ちだけは、
いつまでも忘れちゃいけない。

人が人を信じられなくなったら、
それは、本当に悲しい事だと思うから。

 

 

愛する人へ。

愛する人が元気で居てくれる事、これが一番ですね。

それなくして、何が成功なのでしょうか?

何が幸せなのでしょうか?

何が仕事なのでしょうか?

愛する人が幸せで居てくれる事、それがボクの幸せです。

自分が幸せじゃないと人は幸せに出来ないって聞いた事あるけど、ボクにはよく分からない。だって、片方だけで存在するものなんてないし、両方あってそのものがあるわけで。

他人がいなければ、自分だっていれないわけで。

あの人がこうとか、何がこうとかって、その人との関係があってはじめて成り立つモノじゃないですか、だとしたら、それってその人と関係をつむぎあっている一幕だと思うんです。

愛する人を幸せにするんだって考えてるとき、こうしたら喜ぶよなって考えてるとき、それって幸せですよね。

寝てる時幸せって人がいるけど、それも他人との関わりがあって初めてそう思えるモノですよ。だって、寝てる時は何も考えなくていいって大抵そういう人は言うんだけど、考えさせられる相手がいるからそう思えるわけで。

恩師は教えてくれました。他人との関わりが自分なんだよって。

だから、自分が幸せじゃないと人は幸せに出来ないって言う論理は余裕のある環境や状況にいる人の考えだと思います。

必死に一生懸命に毎日を送っている人にとって、それは現実的な考えじゃない。だって、目の前の人が苦しんでるのに、幸せなんて思えるわけがない。少なくてもボクはそうです。

恩師が元気ないのに、ボクが元気でいられないです。

スタッフや仲間が元気じゃないのに、ボクは元気じゃいられないです。

その恩師やスタッフを元気にしてあげよう、幸せにするんだって思えてる、考えてる、行動してる時、その後に幸せを感じるんです。

そういうものだと思います。